24th September 2015 flickr photo by themostinept shared under a Creative Commons (BY-SA) license
ヨーロッパを中心に、全世界で数世紀にも渡って何度も大流行したペスト。医学がまだ発達していない時代におけるこの病気は、ドイツの神学者マルティン・ルターが「神の意志」であると主張した通り、人々にとって避けられない”死の象徴”であった。ペストは菌が感染した身体の部分に応じて様々な症状を引き起こすが、主にノミやシラミなどによって感染する最も頻度の多かった腺ペストでは全身のリンパ腺が腫れ、敗血症が併発すると手足が壊死して黒くなる。ペストの別名である「黒死病」はこのことに由来している。
嘴(くちばし)医者、ペスト医師
ペストはその恐ろしい感染力と致死性によって患者だけでなく治療する医師の命をも奪ったため、ペスト患者の診察は非常に危険なものであった。しかし、かつてこの恐ろしい病気を専門として治療する医師たちが存在していた――それが「ペスト医師」である。ペスト医師は古くから存在していたが、特に17世紀~18世紀頃に登場するペスト医師の姿はかなり特徴的だ。全身を覆う分厚い衣服とクチバシのある鳥の様なマスク――この姿は単純に職業を表すためのものではなく、当時の医学知識に基づいて考え出されたものだ。
紀元前4世紀頃から19世紀頃にかけて、人々の間では瘴気(しょうき)と呼ばれる概念が根強く信じられてきた。古代ギリシャの医師ヒポクラテスは身体に存在する血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁という4つの体液のバランスが崩れたときに人は病気になり、瘴気と呼ばれる”悪い空気”に晒されることによって、これらの体液バランスが崩れると主張した。また、この瘴気は地割れによって地上へと放出されたり星座の異変によって発生するという。ペストの流行に際して、この瘴気を遮断することは人々がペストを防ぐ上で非常に重要であると考えられた。
中世ヨーロッパでは窓を閉め切ったうえに分厚い布をかけて瘴気の侵入を防いだ。また、衣服を脱ぐと肌にある毛穴から瘴気が侵入すると考えていたため、やがて人々は頻繁な入浴を避けるようになったという。ペスト医師が分厚い衣服で全身を覆っているのはこの瘴気を防ぐためなのだ。ちなみに、この頃のヨーロッパでは人々が瘴気を恐れて入浴をしなくなったことによる体臭を抑えるために香水が急速に発達した。
クチバシのある特徴的なこの”ペストマスク”も瘴気を防ぐためのものだ。良い香りのするものは瘴気を遮断または浄化すると考えられていたため、クチバシの中には竜舌蘭(テキーラの原料になるもの)やバラなどの花びら、強い香りのハーブなどが詰められた。ペスト医師はしばしば実績の無い若い医者や、本業では生計を立てられない者が兼業として行っていたこともあったようで、顔がほとんど見えない匿名性の高いマスクは素性を隠すのに役立っていたのかもしれない。
ペスト医師の治療
ペストが流行していた頃の医学は、宗教と信仰に基づく伝統的な治療法が根付いていた。ペスト医師が行った治療法は、主に体内の血液を排出させる「瀉血(しゃけつ)」である。近代医学が発展する19世紀までは、ヒポクラテスが提唱した「体液のバランスを崩すことによって病気になる」という”体液病理説”に従って、血液を排出させれば体液のバランスが元に戻り、あらゆる病気が治ると信じられてきたのだ。(参考記事:中世で盛んに行われていた治療法「瀉血」とは?)しかし、実際には全く効果が無かったばかりか、むしろ患者の体力を必要以上に消耗させたという。体液を排出させる方法には瀉血の他にも利尿剤や下剤が用いられた。
有名なペスト医師の1人に占星術師で有名なあのノストラダムスがいる。実は大学で医学を修めた医師であり、ペストが流行した際には積極的に治療にあたっていた。一説によると、彼はペストについてネズミが関与していることをいち早く突き止め、キリスト教では忌避されていた火葬を指示して二次感染を防いだとされているが、真偽のほどは定かでない。
鳥のようなマスクがない、別なタイプのペスト医師もいる。
ペストでは、讃美歌や瀉血、薬草や丸薬など、従来のありとあらゆる治療が通用しなかった。このような状況を打破するため、ペスト医師はしばしば独自に考案した新しい治療法を患者に試すことがあった。ペスト医師によって盛んに行われていた治療の1つに、腫れあがったリンパ節を切開して切除するという施術がある。リンパ節の腫張はペスト菌がこのリンパ節で増殖したために起きる症状で、リンパ節を切開して除去するこの行為は、効果がほとんど無いうえにペスト医師がペストに感染する危険性を高めた。歴史的にペストは、患者だけでなく医師の命をも奪い、ペストに関する正しい知識の蓄積――ひいては医学の発展を妨げてきた。病気が細菌によって引き起こされるという「細菌説」が確かめられ、ペスト菌がアレクサンドル・イェルサンおよび北里柴三郎により発見させるのは1894年のことである。
成す術の無かったペスト医師たちが実質的に行っていたことは死者の記録、そして遺言の作成だけであった。しかしながら、ペスト医師の最も大きな貢献は他にある。周囲の人々からの視線、家族の心配や孤独、焦燥、死への恐怖――患者の苦痛はペストによる症状だけではない。そんな不安定な精神状態の患者に対して最期まで懸命に寄り添うペスト医師は、患者にとって大きな精神的安定をもたらしたに違いない。確かに治療の効果はほとんど無かったかもしれないが、それでも自らが感染するかもしれないという危険を冒してまで患者を救いたいと願う姿勢は、現代の名医に勝るとも劣らないだろう。