羽音を立ててうるさく飛び回り、食べ物や死骸に群がるハエはどの時代においても嫌悪の対象である。見るだけで不快になるという人も多いだろうが、ルネサンス時代の絵画には不思議とハエが描かれているものがある。これはどういうことなのだろうか?
Jacob van Hulsdonck氏の作品『Still Life with Fruit and Flowers』。
彼の多くの作品にはハエが描かれている。この絵のどこにハエがいるかお分かりだろうか?
これにはルネサンス時代に入ってから急速に進歩した遠近法や明暗法などの描写技術によって、従来までの抽象的な表現から、より写実的な表現が絵画に取り入れられるようになったことが関係している。いわゆる「リアリズム」の到来だ。
ルネサンス時代の画家たちは、自らの芸術的技量を競い合うように複雑なものや細かいものなど描写が難しいものを好んで描いた。なかでも、最も好んで描かれたのがこの「ハエ」なのだ。
また、ハエは日常的に最も身近な虫であるといえる。日常風景の写真をいくつか撮ればハエが写ってしまうことはあるかもしれないが、人が作り上げる絵画にこのハエが”入ってしまう”ことはまず無い。芸術家たちは描いた絵がまるで写真のように、現実世界の一部を切り抜いたように表現するためにあえてこの虫を描いたのだ。
Giovanni Santi の作品『Cristo accompagnato da due angeli』。
もちろん、ハエの描写は技量を示すだけのものではない。ハエは死や悪魔を連想させる不吉なものの象徴であり、特にキリストの受難を表現するためにキリストと一緒に描かれることもある。
あの有名な『モナ・リザ』の来歴なども書かれているジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』には、ルネサンス時代を代表する画家のチマーブエが外出中に、弟子のジョットが作品にハエの絵を書き足して、帰ってきたチマーブエが本物と思って何度も追い払おうとしたという逸話が紹介されている。絵画に描かれるハエの”流行”は、ルネサンス時代の先駆けともいえるこの二大巨匠の遊び心が原因だったかもしれない。