Lowland Copperhead flickr photo by blachswan shared under a Creative Commons (BY) license
旧約聖書において、 知恵の実を食べるように人間をそそのかしたのはヘビであった――ヘビは古来より人々から恐れられ、そして崇められてきた。ヘビを信仰対象とするような文化は世界各地に存在している。もしかしたらそれは、ヒトがヘビを本能的に恐れているからなのかもしれない。
事実、私たちの脳は、なぜかヘビを素早く検知することができる。アメリカの人類学者であるリン・イズベル(Lynne A. Isbell)氏は、毒ヘビのいない地域では生息する霊長類の視覚能力が劣ることや、ヘビを見たことがないサルの個体でもヘビを素早く発見できることなどを実験により明らかにし、2009年に「ヘビ検出理論」を提唱した。
およそ6,500万年前、私たちの祖先の霊長類は樹上で生活しており、当時の私たちの祖先を捕食する動物は大型の猛きん類やネコ科動物、そしてヘビであった。なかでも、30mを超えるような枝の生い茂ったところで暮らす霊長類に接近できる天敵はヘビだけであったと考えられている。
そのため、私たちの祖先は、生い茂る枝の中から天敵であるヘビを素早く検出できるように視覚認知機能を発達させたというのだ。これが「ヘビ検出理論」である。かなり突拍子な話に聞こえるかもしれないが、この理論を裏付けるような実験結果がいくつも報告されており、日本においても名古屋大学の研究チームが検証を行っている。
名古屋大学大学院情報科学研究科の研究チームはこれまでに、3歳の子どもが「多くのヘビの写真から1枚だけある花の写真」よりも「多くの花の写真から1枚だけあるヘビの写真」を素早く見つけることや、自然の風景の中に隠されたヘビ、猫、鳥、魚のうち、”ノイズ”を加えて見つけにくくなった写真でも、ヘビだけが他の動物よりも正しく見分けられることを明らかにしている。
Graham’s Crayfish Snake (Regina grahamii) flickr photo by 2ndPeter shared under a Creative Commons (BY) license
さらに、今年8月に発表された研究は興味深い。研究チームは大学生28名を対象に白黒の風景写真と、ヘビまたはトカゲのどちらかを加えた白黒の風景写真を、真っ黒な画面を挟んで0.25秒ずつ画像を切り替え、15秒の制限時間で写真のどこにヘビまたはトカゲがいたかを学生たちに判定してもらった。写真に加えたヘビとトカゲの大きさは、いずれも風景写真の1%以下としている。
異なる写真のセットで28回試行したところ、トカゲが写っていた写真では56%しか正しく見つけられなかったが、ヘビが写っている写真では78%も正しく見つけることができたのだ。さらに、見つけるまでの時間を比較したところ、トカゲよりもヘビの方が有意に早く発見できたという。
比較的良く似たトカゲよりも、私たちの脳はやはりヘビを素早く認識できるのだ。私たちの脳はどのように発達していったのだろうかーー近年では、この「ヘビ検出理論」から天敵であるヘビに対抗するために脳の認知機能を発達させたという主張もある。
WHO(世界保健機関)の2019年の報告によると、毒ヘビによる死亡者数は全世界で年間8万人~14万人にものぼるという。大昔だけでなく、現代においても未だにヘビは人類にとっての脅威であるが、もしかしたら私たちの本能によって被害が”最小限”に抑えられているのかもしれない。
それどころか、ヘビにそそのかされて人類が知恵の実を口にしたように――ヘビによって私たちは高い認知機能を獲得したのかもしれない。